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そんなこんなでブログ復活なのよ

こちらでまともに登場するのも8ヶ月ぶりでしょうか?
最近は本業がバタバタしていることも多いため
ニコ生での放送回数も激減している大門です。
皆様如何お過ごしでしょうか?
放送中に「ブログはいつ更新するんだ!?」「完成してるならさっさと上げんかい!!」
と、お叱り(?)の声が多数あったのと
そろそろ復旧させねばならないと思い
やっとこさ更新と相成りました。
皆さま大変お待たせ致しました。
今後は従来通りの運営となります。

過去ログを遡ってみたら
丁度震災直前の3月7日で止まっていたのな。
あの頃はゲルググコンペも終わって
仕事も年度末進行真っ直中でした。
そんな中、発生したのが東日本大震災でした。
今回は久々に更新することもあるので
当時のことと、その後自分が現地に行って確認した写真とかも紹介しましょうかね・・・。
今日の話はちと長いので、じっくり読みたい方は
お時間のあるときに読むのをお勧め。

 
あの3月11日ってのは、前日にニコ生を遅くまでやっていたこともあり
見事に寝坊していたんですな(これ本当)。
まだ寒い時期で、そのまま布団も畳まず起きて
目の前にあるPCに向かって午後からある
打ち合わせの内容を確認したのを覚えています。
それから午後に仕事の打ち合わせがありました。

打ち合わせの方は順調に何事もなく予定より早く終了し
仕事で使う納品用のCD-ROMやら消耗品を買いに
いつものように行きつけの某PCショップに行ったわけです。
ここで自分はあの地震に遭遇するわけです。
福島県に長年住んでいる自分としては地震は決して珍しいことでもなく
変な話、自分の場合は揺れの強さと長さで
震源地の場所と震度(場合によっては地震の規模)を大体当てることが出来てしまうくらいです。
しかし、あの時だけは違いましたね・・・。
最初は大したこと無かった物の、徐々に揺れが強くなってきて
PCショップの目の前にあった
100円ショップの棚が文字通りドミノ倒しになり
客が次々と走って逃げ始めていきました。
私はすぐ収まるだろうと思って腕組み状態で仁王立ちしていましたが
店の人から避難するように言われてやっと逃げたくらいです。
この直後、自分がいた場所の天井が見事に落ちたわけですが・・・
まさか天井が落ちるのを見ることになるとは思わなんだ。
表に出たら駐車場に停まっている車と標識が全部揺れているわけですよ。
たまたま近くにいた50代くらいのおばさんがラジオを持っていたので
それを聞かせてもらうと、三陸沖周辺の震源であることが判明。
なお、この際に自分がいた郡山市で観測された震度は6強。

その後、すぐ自分の車に乗り込んで自宅に戻ろうとしたわけですが
みんな一斉に帰り始めたので大渋滞に。
更には急に天気も曇ってきて吹雪になったわけですよ。
渋滞中にも車が揺れたので、あの時に余震が来たんだろうな。
(更にこの時点で携帯電話は使用不可能に。自分のはauだが、復旧するのはこの25時間後)
いつも通り慣れた道も至る所で看板が落ちたりしていて
更には建物が全焼中だった場所も。
何とか戻ってくることが出来たわけですが
真っ先に目に飛び込んできたのはこんな状態。

DSC00006.jpg

写真には写ってませんが、PCモニターは2台とも落下しております。
幸い、うちの人は誰も怪我もなく済んだのは良かったこと。
自分は地元の消防団にも入っているので
そのまま屯所に集合して町の被害調査へ。
我が町内では死傷者もなく、軽いけが人が数人出て
建物に多少の被害が出た程度。
停電は起きることもなく、他のライフラインが生きていたのは奇跡ですなわな。
(但し、オレの部屋のネット回線だけは復旧に3日かかった)

そんなこんなしていると、地震と津波の被害もさることながら
福島第一原子力発電所がヤバイぞと報道しているわけですよ。
更に翌日は浜通り地区の人たちが避難してくるから
町民体育館に行って避難所を設営してくれと町から要請が入り
またしても消防団出撃となるわけです。
それが終わってから、家に戻ってから母屋のネット回線は生きていることを確認。
ネット回線だけは何とか確保せねばと思い
LANケーブルの調達に行くわけです。
なお、母屋から自分が普段いる離れまで引っ張った回線の総延長は30mほど。
仕事でたまにやるけど、まさか自分のところでやることになるとは思わなかったな。
(この回線が繋がった直後に、自分はニコ生で第一報の放送をしたのである)

そんな中、福島第一原子力発電所の1号機が爆発、
更に翌々日には3号機まで爆発したからシャレになりません。
自分が住んでいる場所ってのが、福島第一原子力発電所からは丁度50km圏内。
いつどうなるかわからん状態にいたのは確かです。
これ以上書くとかなり長くなるので、途中はかなり省略しますが・・・

それ以降は原発被害との戦いの日々ですよ。
この頃を境に福島県内では天気予報の最後には放射線量の報道が入り
食料の出荷が出来なくなったりと大変でした。
地元の行事関係も全て中止になったり
普段入荷する物も入荷しなくなったりと、
物流関係がある程度復活するのには震災から2週間くらいだったでしょうか?
(終いには、このとき模型雑誌も入荷しなかったので、新潟まで買いにも行きました)


DSC00094.jpg
※福島県郡山市の星総合病院(2011年3月24日撮影)

いつも買い物に行っている郡山市も結構ボロボロに。
病院に至っては建物の中心部が倒壊していたり
あらゆる建物にヒビが入っていたりと
映画に出てくるような風景だったわけです。
(今でもそのままだったり、復旧作業中の場所も多い)
自分がよく利用していた店はほとんどが大破していたので
完全復旧するのは7月に入ってから。
ヨドバシカメラ、タルカワ模型とかは
震災直後でも営業を再開したのはありがたかったね・・・。


DSC00503.jpg
※福島県相馬市の松川浦(2011年7月16日撮影)

それから時期は一気に飛んで
相馬市、南相馬市にも行って来たけど
ここも凄まじい状況でした。
津波ってのは全て押し流すとは知っていたけど
実際にその場所に立つとやっぱ違うんだよな・・・。
本当に流された場所って瓦礫とかしか無いんですよ。
そりゃ原発の電源装置なんて、ひとたまりも無いわな。
とにかく、松川浦は独特の臭いがしたことは覚える。


DSC00509.jpg
※警戒区域20km地点の入口(福島県南相馬市の国道6号線から。2011年7月16日撮影)

原発事故の被害は今も継続中なわけでして
当然、警戒区域の20km圏内には入ることは出来ません。
これがいつまで続くのかわかりませんが
最悪、自分たちが生きている間は
自由に行き来することは出来ないのでは・・・とも思ってしまいます。
(実際どうなるのかは、予想が出来ないのが実情)


今年は他にも集中豪雨やら台風の被害もあり
特に台風の時は自分も氾濫した川の周辺住宅への浸水を止めるため
消防団として出動もしていますが
とにかく災害が多い年であるのは確かですね。
これ以上何も起きて欲しくないってのが本音です。
また、自分たちが普段何気なくやっている生活や趣味ってのは
結構簡単に壊れる物なんです。
そういう意味でも、普段やれることはしっかりやって生きていきたいですね・・・。

そんなわけで長くなったけど、
また気が向いたときにでもいろいろ書き足すとしましょう。

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